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博多織

博多織が出来上がるまで

1. 絹糸をつくる

A)養蚕

カイコの卵は1ミリほどの大きさです。それから孵化したときは12ミリです。カイコは桑の葉を食べて70ミリまで成長します。そのうちに桑を食べなくなり、真っ白だったカイコは乳白色になります。
このように変化したカイコは繭作りを始めるので、蔟(まぶし)*に移します。
カイコは糸を吐いて、2~3日で繭ができます。
*蔟(まぶし):蚕が繭を作る場所

B)繭を集める

カイコが繭から孵化する前に、蔟(まぶし)から繭を集めます。

C)製糸

繭を乾燥させたあと煮ます。
そうすることで繭がほぐれていき糸が取りやすくなります。

2. 博多織をつくる

A)企画

何を作るための生地かを決めます。
献上柄にするか、他の柄にするかを決めます。 
どのような色にするかを決めます。
博多織で作っているものには、帯、着物の他に、バック、ネクタイなどがあります。

B)意匠デザイン

博多織のデザインを決めます。
柄の図案を実際に織物で作れるようデザインしていきます。
以前は手書きで経糸と緯糸を描きデザインを構成していました。コンピューターが導入されたおかげで、作業は効率化されたが、それでも大変な仕事です。

C)染色

生糸の汚れ等を除き、絹糸に仕上げます。
色見本に合わせて染色を作り、経糸と緯糸を染めていき絹の光沢を出すよう仕上げます。
見本通りの色を出すのに、技術とセンスを必要とします。
染める方法には、機械染めと手染めがあります。
染料も天然染料・化学染料があります。

D)糸の準備

織物を作るには経糸と緯糸が必要となります。
きれいに染められた経糸と緯糸を枠に巻いていきます。

E)製織

糸をセットしていきます。柄や色を変えるときは一本一本手で結び付けていきます。リズムよくトーン、トントントンという音を響かせながら折られていきます。
厳しい検品を受け合格した織物だけが博多織として証紙が発行されます。

博多織の特徴

博多織の特徴は、細いたて糸をたくさん使い、太い緯糸で打ち込んでいきます。博多織の帯を締めると、「キュッ、キュッ」という絹の織物ならではの音、「絹鳴」がします。絹だとかたいイメージがあるかと思いますが、張りはあるのに、締めやすいといわれています。

博多織の歴史

博多織はどのように伝わったのでしょう。1235年、博多の商人、満田彌三右衛門(みつたやざえもん)は弁円和尚と共に宋(中国)へ向かいました。そして6年間宋に滞在し、技術を学び博多に戻ってきます。

博多に戻った満田彌右衛門は、博多の人に学んだ技を伝授します。しかし、織の技だけは自分の家族にのみ伝え、それに工夫を加えながら代々伝えていきます。

彌右衛門の孫、満田彦三郎は再び明(中国)に渡り、織物の技術をさらに追及します。帰国後、さらに改良を重ね、生地が厚く、模様が浮き出る織物を作り上げました。それが今の博多織の起源です。

献上柄について

博多織は、「献上柄」といわれる伝統的ながらがあります。江戸時代に福岡の藩主、黒田長政が幕府に献上していた博多織の柄から由来しています。

献上柄は、次の4つの模様からなります。

  • 独鈷(どっこ)
  • 華皿(はなざら)
  • 中子持縞(なかこもちじま)
  • 両子持縞(りょうこもちじま)

仏具として使用する独鈷、華皿をモチーフとしています。独鈷は、人間だれしもがもつ煩悩を打ち砕くとされるものです。華皿は仏様の供養の時にまくお花を入れるお皿です。どちらも、魔除け、厄除けの願いが込められています。

中子持縞と両子持縞は、親を表す太い線と子供を表す細い線からなります。中子持縞は、太い縞が細い縞を挟む縞模様で、親が子を守るという意味があります。別名、親子縞といいます。両子持縞は、細い縞が太い縞を挟む縞模様で、子が親を慕い守るという意味があります。別名、孝行縞といいます。どちらも親子の愛情、家内繁盛、子孫繁栄の願いが込められています。

博多織五色献上

博多織には、福岡の黒田藩主が徳川幕府に献上したものを、「博多織五色献上」といい近年になって再現され、「紫、青、赤、紺、黄」の五色からなります。

「紫」は昔から高貴な色とされています。再現された染料はムラサキ草の根で染色されました。

「青」は季節の初めの色を表しています。アイで染色されています。
「赤」は天に昇る太陽を表しています。染料は日本アカネの根を使っています。
「紺」は信用を表現しています。青とはまた異なり深みがあります。染料はアイを使用しています。
「黄」は皇帝の威力を表現しています。ヤマモモの皮を使って染色しています。

現代にマッチした博多織

現代になって着物を着て帯を締めることが少なくなってきています。そのため、博多織は、現代の生活にあったものにも浸透してきています。ネクタイや名刺ケース、お財布にバックなどです。男性にも女性にも使える博多織を多く見かけます。献上柄から、ドット、動物の柄など幅広い年齢層のかたにむけたデザインや品物が作られています。ひとつ博多織をもっていることで、絹の美しさを楽しめ、少し優雅な気持にさせてくれます。

博多にいらした折には、自分だけの博多織を見つけてみてはいかがですか。

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博多人形について

博多人形の歴史

博多人形の歴史は古く、誕生は1600年にまでさかのぼります。関ケ原の戦いで功績を上げた黒田長政は、筑前、今の福岡を新しく治めることになり、この地に入ります。博多から少し離れた福崎という地に、壮大な福岡城を建築するため、多くの職人が集められました。そのうち、お城の瓦を作っていた職人の一人である正木宗七が、瓦を造っていた粘土で人形を作ったのが今の博多人形の始まりだと言われています。そのころには、既に素焼きの人形を愛でる習慣があったとも言われています。

その後、1800年代になって中ノ子吉兵衛が素焼きの人形を庶民向けに作るなど名工が増え、全国に流通しました。さらに、1890年の第3回内国勧業博覧会、1900年のパリ万国博覧会に出品展示され、博多人形は日本国内だけでなく海外でも大きな注目を浴びるようになりました。

博多人形は日本を代表する伝統工芸品になりました。日本の経済産業省大臣指定の伝統的工芸品で、博多人形の製作技術は福岡県の無形文化財に指定されています。日本国内だけでなく、海外にも販売され、置物や贈り物、縁起物、土産品として愛されています。

博多人形の特徴

博多人形の特徴は、見とれてしまうほどの実に多彩な表情、今にも動き出しそうな躍動感、繊細かつ豊かな色彩などがあげられます。素焼きの人形に色を施していますので、土のぬくもりが感じられて、あたたかく、優しい雰囲気が伝わってきます。

博多人形の種類

博多人形の種類は、「美人もの」、「歌舞伎もの」、「武者もの」、「縁起もの」、「能」、「道釈もの」、「干支もの」、「童」、「節句もの」などがあります。最近は、スポーツ選手、お相撲さん、アニメや漫画、犬、猫などの動物や空想上のキャラクターなどモダンで斬新な作品も注目を集めています。

博多人形ができるまで

博多人形は、一品作と呼ばれる、ひとつひとつ手で作り上げていく方法と、原型の人形を作りあげ、その型を石膏で作りだして作成するという、ふたつの方法があります。ここでは後者の方法をご紹介します。

粘土・土ねり

博多人形の原材料は、福岡の油山近郊で取れる良質の粘土を使います。粘土はそのままで使えるわけではなく、何度も工程を経て不純物を取り除き、粘土の質を高めるために一か月ほど寝かせます。そうすることで、焼いた時に人形にひびが入るのを防ぐことができます。

寝かされた粘土は、しっかりと練られます。そうすることで粘土が柔らかくなるとともに、粘土に含まれている空気を抜くことができます。

原型

職人がどのような人形にするか構想をねります。その構想にあわせて人形をつくっていきます。全体の姿だけではなく、指先や顔など細かいところまで、へラなどを使い仕上げていきます。

型とり

次に型取りです。構想通りに作り上げた人形の原型を糸や針金で切り離していき、それぞれの型を石膏で作っていきます。

石膏は高温で熱すると、白色の粉末になります。その粉末に水を混ぜて置いておくと固まり、石膏型が作られます。石膏は、人形の部分である粘土の水分を吸い取る性質もあります。複雑な人形になると、部分的に石膏型を作っていかなければならないので、20枚以上の型に分けなければいけない場合があります。

生地づくり

次は生地を作っていきます。生地の作り方は2種類あります、ひとつめは方に流していく方法で、もう一つは生地を型に押し込んでいく方法です。手で押し込んでいくのは、型の隅々まで生地を押し込み、厚みも均等になるよう手で感覚を感じながら広げていかなければならないので、経験を必要とします。

焼成

生地が乾燥し、型から外したら、窯で焼いていきます。800度前後の窯で8時間近く焼いたら、窯の中で冷やし、冷めたら窯から出していきます。

彩色

焼きあがった人形は素焼きの状態なので、土の色のままです。ここから色付けをしていきます。まずは胡粉といって貝殻を粉にしたものを水で溶いて、地塗りをしていきます。その後、肌を色づけしていき、着物や帯、髪の毛の細かい部分まで筆で書いていきます。博多人形は着物などの衣装や毛髪まですべて手で描いていくというところが他の地域の人形と異なるところでもあります。

面相

そして最後に、表情を描いて命を吹き込みます。子供のあどけなさ、女性の美しい紅、歌舞伎ものには力強さなど、それぞれにあった表情をえがいていきます。

完成

その後20日から60日乾かして完成です。

このように職人の技が詰め込まれた人形は、職人の手を離れ、博多人形として多くの方の手元に届きます。

博多人形と一言で言っても、作風や表情など作家さんによってそれぞれ異なります。好きな作家さんを見つけてごひいきにしたり、いろいろな作家さんの作品を手にするのもよいでしょう。また、現代の生活にあわせて、モダンな人形や、大きなものだけでなく手のひらに乗るほどの小さなものまで作られています。さまざまな用途やシーンに応じて博多人形を選ぶのも楽しみの一つです。

次回、博多人形に出会うときは、ぜひ作られた過程や職人さんの想いを考えながら作品をご覧になると、今までと違う側面も見えてくることでしょう。

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博多曲物について

西暦200年まで溯る博多曲物の歴史

博多曲物の歴史は長く、西暦200年にまでさかのぼります。日本の第15代の天皇である応神天皇がお生まれになったとき、胞衣筥(へその緒を入れた箱)として埋め、そのお標として松の木を植えたといわれています。その松を「筥松」、そしてその地を「筥崎」とよぶようになったということです。へその緒がいれられた筥が、博多曲物だったのです。

応神天皇は福岡県福岡市東区箱崎にある筥崎宮のご祭神です。筥崎宮は、大分県の宇佐神宮、京都府の石清水八幡宮と並び日本三大八幡宮と呼ばれています。この筥崎宮では1月には玉取祭(玉せせり)、9月には放生会が行われ、多くの人が集まります。

1,800年以上前から始まっている博多曲物、はじめのうちは、神社や公家邸など一部の人にしか使われていませんでした。その後だんだんと広まり、江戸時代には庶民の家庭でも使われるようになっていきました。

博多曲物の作り方

博多曲物はどのように作られているのでしょうか。

  1. まずは、曲げ物に適した木から探していきます。節がなく、筋がまっすぐ通っている木だけを選びます。
  2. 適した板が見つかったら、最低1年以上乾燥させます。その後木を薄く削り、同じ大きさに切りそろえます。そして、重なり合う部分は薄くするために削り落とします。
  3. 薄く切った木は、あくを抜きながら30分ほど煮沸します。こうすることで木の繊維が柔らかくなります。
  4. 煮沸したての熱々の木を取り出し、円形の「巻木」に巻きつけ曲げていきます。曲げた板は円形を保つように木挟で止めて、日陰で4、5日ほど乾燥させます。
  5. 乾燥した外枠に底板をあわせます。桜の樹皮を薄く整え、重なった部分を縫い綴じ合わせます。絵付けするものには、絵を描いていきます。

このようにしてひとつひとつの工程に多くの時間をかけて、ひとつの作品が出来上がるのです。

曲物の弁当箱と三宝

博多曲物ですぐ思い浮かべるのはやはり、「お弁当箱」「三宝」です。温かいご飯を博多曲物につめると、ほのかに木の香りがただよってきて、心を落ち着かせてくれます。それだけでなく、軽くて殺菌作用もあり、余分な湿度を吸収してくれるので、まさにお弁当箱として利用したいですね。

「三宝」は神様に神饌(神様へのお食事)をお供えするための台です。4面あるうちの3方向にのみ眼像(くりかた)が開いています。このような神事で使われる作品を作ることができるというのは、曲物師さんとしては嬉しい限りだと思います。

茶の湯で欠かせない博多曲物

他にも伝統的なところで活躍しています。それは、お茶の席です。季節を表現したお茶菓子を入れる「縁高」や、茶器を温めた後のお湯を入れる器「建水」などです。私が作動をしていた時は陶器を使うことがほとんどでした。しかし、曲物の器だと、昔にタイムスリップして、お茶を楽しむことができました。

子供のお祝い膳 ポッポーお膳

そして博多曲物で忘れてはならないのは、「ポッポーお膳」です。おそらく曲物を作っている他の地域にはない、博多独自のものではないでしょうか。まずは名前の由来からお話します。筥崎にはハトが多く、幼い子供がハトのことを「ハトポッポ」という言葉を使うことからハトポッポの「ポッポ」を名前に入れたそうです。このポッポーお膳に男の子用と女の子用の2種類準備されています。高さが少し高いものが女の子用です。これは、女の子がきちんと正座をし、男の子はあぐらをかくからということだそうです。

ポッポーお膳はどのような時に使われるのでしょう。それは、子供の成長の節目をお祝いする「七五三」です。ほかにも生後100日祝いの「お食い初め」でも使われます。もともと七五三は江戸時代の武家に伝わる風習だったようです。それが明治時代に全国的に広まったそうです。

博多では、3歳になると「お膳すわりの祝い」がおこなわれます。これは、親に食べさせてもらうことなく、一人で食事ができるようになる年齢に達したということをお祝いする日です。そしてポッポーお膳には絵が描かれています。お祝い事には欠かせない「松竹梅」と「鶴と亀」です。ここで注目してもらいたいのが「鶴と亀」です。亀のしっぽが赤く描かれています。これは「亀は万年」といわれるように、長生きをして苔がついている様子を描いたものです。

では、鶴を見てみましょう。なんと、鶴が上下逆さに描かれているのです。通常の向きで描いてしまうと、そのまま飛んで行ってしまいます。そこで、縁起の良い鶴がひっくり返って舞い降りている様子を描くため逆さに描かれているのです。このように絵にも子供を想う優しい心が込められているのです。

様々な用途にも使われる博多曲物

伝統的な博多曲物ですが、新たな伝統を作ろうと立ち上がっています。木の美しさが生かされた「CDケース」やパーティーなどで目を引く「ワイン&シャンパンクーラー」です。「ワイン&シャンパンクーラー」は結露もしにくく、パーティーでテーブルに置いてあると、主役になりそうな美しさです。博多に訪れた際は、お好きな博多曲物をぜひご覧ください。

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博多きりえについて

切り絵とは

切り絵とは、黒い紙を切り抜いて、白い紙に貼り付けることによって白と黒の二色のみで世界を表現するものです。

日本では、神様の儀式に使われていたとのことです。切り絵は日本だけでなく世界中で作られています。最近では白黒だけではなく、カラーの紙を使用して表現することもあります。また、従来の紙をカッターで作るものだけではなく、新しいスタイルも存在します。

博多きりえ師 小西一珠喜

今回ご紹介したいのは、きり絵師、小西一珠喜(こにし かずよし)さんです。小西さんの作品は「博多きりえ」と呼ばれています。こちらは、小西さんが考え出したオリジナルのものです。博多には古くから伝わる博多人形や博多織という伝統的工芸品がありますが、新しい芸術として小西さんの博多きりえがこの博多の地に生まれました。

小西さんは、1958年生まれ、長崎県五島列島小値賀島出身です。2002年に博多祇園山笠を見て、大きな衝撃を受けました。また、実家が火事で全焼し切り絵づくりを本格的に開始しました。櫛田神社近くに活動拠点を移し、山笠だけでなく博多の文化を切り絵で表現しました。

小西さんにとって、この2002年の出来事が大きく人生を変えることとなります。小西さんのご実家が全焼してしまいましたが、入ってみると一か所の壁だけが焼けていなかったそうです。そこに、20歳の時に小西さんが作った「ゆかた」の切り絵だけがなんと残っていました。その切り絵を大切に持ち上げようとしたその瞬間、「切り絵をしなさい」という声が聞こえたそうです。そこで小西さんは心を決め、いまの「博多きりえ」ができあがる出発点でした。小西さんにしか聞こえないその声が、小西さん人生の大きな転機となりました。

主な作品

小西さんは本当に博多が大好きでした。41歳の時に初めて見た博多の夏のお祭り「博多祇園山笠」に魅了され、博多に移り住みます。そして、魅了された山笠を中心に、博多の景色など数多くの作品を作っています。

博多祇園山笠

こちらのシリーズは博多を代表するお祭り、博多祇園山笠をテーマにしています。

山を舁くときの正装である水法被の背中に書かれた意匠も力強さを感じます。山を舁く時以外の長法被は山笠の行事に参加するときに着用します。その柄もきれいでそこに締める博多織の帯までそれぞれ個性豊かにきりえに表現されています。

山を舁いているその男衆のきりえは、いまにも声が聞こえてきそうな熱気と勢いが感じられます。この作品は本当に早朝にはしる博多祇園山笠を見位に行った、あの時のドキドキ感と心をうずうずさせるような興奮を思い起こさせてくれます。

博多百景

博多の街をそのまま切り取ったような作品です。歩いていて何気なくみかける景色なのですが、写真とは違う切り絵としてその場面を切り取られていると、とても温かく小西さんの目で見る博多は感じることができます。

博多美人

着物を着た女性や洋服の女性、こちらを向いている女性や何か思いにふけっているような女性などさまざまな女性がきりえとなっています。小西さんがモデルとなった女性と会話をして、その方の背景まで作品の中に切り込んでいるように感じられます。

博多以外の作品もあり、龍や、中国の神話に登場する伝説の鳥、鳳凰などもきりえにしています。鳳凰が飛び立っているその姿は高貴な感じがします。美しく広がった尾っぽの繊細さには驚かされます。

小西さんは、2018年に永眠されました。しかし小西さんの「世界一愛されるきり絵師になること」という想いは、生きています。多くの方に、小西さんが想いを込めて作った作品を見ていただけたらとおもいます。きっと小西さんも空からみなさんのことをあたたかく見守ってくれていることでしょう。

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博多の伝統工芸品

商人の町として発展したきた博多は、長い歴史の中で様々な工芸品が育まれ、人々の手によって伝統工芸品として受け継がれてきました。

現在、国指定の伝統的工芸品として博多織と博多人形の2品目があり、福岡県指定の特産民工芸品として、博多曲物、博多鋏、マルティグラス、博多独楽、博多おきあげ、博多張子があります。

博多織

博多織の起源は、1235年に博多の商人である満田彌三右衛門(みつだやざえもん)が中国の宋に行き、技術を学んで博多に技術を持ち帰ったことが始まりです。

博多織特有の柄に献上柄というものがあります。この柄は、仏事で使われる花皿と独鈷をモチーフにしたものと、親子柄、孝行柄とよばれる太さの異なる線で作られているものを呼びます。

博多人形

博多人形の誕生は、1600年に、今の福岡を治めることになった黒田長政が、城を築くために職人を集めます。そのときの瓦職人が作った素焼き人形が博多人形の始まりといわれています。

 博多人形には「美人もの」、「歌舞伎もの」など美しさや力強さを感じさせるものもありますが、「干支もの」「節句もの」などかわいらしいものも作られています。

博多曲物

博多曲物の歴史は大変長く西暦200年までさかのぼります。日本の第15代天皇である応神天皇がお生まれになったときに、へその緒をいれた容器が、今の博多曲物でした。曲物はネジなど全く使っておらず、ひとつひとつ手作りで、木のみ使用して作られています。おひつやお弁当箱など作られていますが、ぜひ見ていただきたいのが「ポッポーお膳」です。こちらは子供のお祝いのときに使われるお膳です。お膳に書かれている松竹梅や鶴亀が特徴的で、子供の成長を願う気持ちが込められています。

博多鋏

今から700年ほど前に南宋の商人、謝国明が「唐鋏」を博多に持ち込んだのが始まりです。その後、幕府の献上品として、博多の刀鍛冶師である安河内卯助により唐鋏の製作に取り組みました。明治13(1880)年に高柳亀吉が卯助翁の弟子となり、やがて師匠の刻印である登録「宇」の継承を許されました。その後、明治20(1887)年に独立し、唐鋏を「博多鋏」と改称しました。一点一点丁寧に作られており、鋭い切れ味が特徴です。

マルティグラス

マルティグラスは、「Multiple Layer Glass(マルティプルレィヤーグラス)」の愛称です。性質の違ういろいろな色のガラスを何層にも重ねて、美しい芸術作品になります。

昭和12(1937)年のパリ万博で、日本のガラスとして初のグランプリを受賞しています。

干支モノや置物などもありますが、花瓶やおちょこやカップなど実際に日常生活で使えるものもあります。

博多独楽

1300年に中国から竹製の唐ゴマが日本に伝えられました。その後17世紀後半、木製のコマに鉄の芯を打ち込んだ「博多独楽」が作られました。このうように鉄の芯を持った博多独楽は、手に取って移動させることが可能になり、独楽を使った曲芸がうまれました。

博多おきあげ

博多おきあげとは下絵を描き、布や綿を使い立体的に盛り上げて作ったものです。立体感のある絵画のようです。博多では、女の子が生まれた時に、博多おきあげを送る習慣がありました。明治、大正時代にはこのおきあげを作ることは女性の教養の一つだったそうです。顔は手書きでひとつずつ丁寧に描かれています。着物を着たものは、重なりの部分や帯など色の配色も素敵です。

博多張子

博多張子は、江戸時代から縁起物として作られてきました。作り方は今も江戸時代とほとんど変わっていません。木などで作った型に和紙を布苔で幾重にも張り重ね、乾燥させた後、手描きで絵付けをします。一つ一つ丁寧に手作業で作られます。博多の大きなお祭り、博多どんたくで使うお面や、商売繁盛を願う十日恵比須の鯛の飾り、干支の置き物など縁起物として愛されています。

博多は、古来より貿易の中心地でもあったことから、ほかの国から伝わったものをベースにしたものも見受けられます。すべての工芸品は多くの人の努力により今現在まで伝わっていることを考えると、有り難さが一段と深くなります。

博多にいらした際は、博多の街に根付いた工芸品をぜひご覧になっていただきたいと思います。