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博多織について

宮嶋美紀の制作による3種類の博多織の博多帯です。

博多織は、福岡県福岡市の博多地区で作られる織物で、博多を代表する伝統工芸品です。国が指定する236品目ある伝統的工芸品にも選ばれています。

鎌倉時代に中国で学んだ織物の技術に改良を重ねて生まれた独自の技法により作られています。普通の帯では経糸(縦糸)を4,000から5,000本使いますが、博多織で作られた帯では6,000本以上、多いもので15,000本もの経糸を使います。

丈夫で張り、厚みがあり、献上柄と呼ばれる独特の模様や、一度締めたら緩まない締め心地が特徴です。古くは武士も締めていました。今では大相撲では幕下以上でなければ博多帯を締めるのが許されないほどです。博多織は、着物を着る人は誰もが憧れる人気の帯です。

博多織の歴史

博多織はどのように伝わったのでしょう。1235年、博多の商人である満田彌三右衛門(みつたやざえもん)は、弁円和尚と一緒に南宋(中国)へ向かいました。6年間、宋に滞在し、織物、朱焼、箔焼、素麺、麝香丸(じゃこうがん)の5つの製法技術を学び博多に戻ってきます。

博多に戻った彌三右衛門は、博多の人に学んだ朱焼、箔焼、素麺、麝香丸の技術を教えました。しかし、織物の技術だけは家伝とし自分の家族にのみ伝えました。彌三右衛門はその技法にさらに工夫や改良を加えながら代々伝えていきます。

その後、彌三右衛門の孫、満田彦三郎が明(中国)に渡り、織物の技術をさらに追及します。帰国後、さらに改良を重ね、生地が厚く、浮き出た模様(浮線紋)がある織物を作り上げました。それが今の博多織の起源と言われています。

博多織の特徴

博多織の特徴は、細いたて糸をたくさん使い、太い緯糸で打ち込んでいきます。博多織の帯を締めると、「キュッ、キュッ」という絹の織物ならではの音、「絹鳴」がします。絹だとかたいイメージがあるかと思いますが、張りはあるのに、締めやすいといわれています。

博多織が出来上がるまで

(1) 絹糸をつくる

A)養蚕

カイコの卵は1ミリほどの大きさです。それから孵化したときは12ミリです。カイコは桑の葉を食べて70ミリまで成長します。そのうちに桑を食べなくなり、真っ白だったカイコは乳白色になります。
このように変化したカイコは繭作りを始めるので、蔟(まぶし)*に移します。
カイコは糸を吐いて、2~3日で繭ができます。
*蔟(まぶし):蚕が繭を作る場所

B)繭を集める

カイコが繭から孵化する前に、蔟(まぶし)から繭を集めます。

C)製糸

繭を乾燥させたあと煮ます。
そうすることで繭がほぐれていき糸が取りやすくなります。

(2) 博多織をつくる

A)企画

まず何を作るための生地にするかを決め、さらに献上柄にするか、他の柄にするか、どのような色にするかを決めます。

博多織で作られるものには、帯、着物の他に、鞄、ネクタイ、名刺入れ、財布など様々な種類があります。

B)意匠デザイン

博多織のデザインを決めます。柄の図案を実際に織物で作れるようデザインしていきます。

以前は手書きで経糸と緯糸を描きデザインを構成していました。コンピューターが導入されたおかげで、作業は効率化されたましたが、それでも大変な仕事です。

C)染色

生糸の汚れ等を除き、絹糸に仕上げます。

色見本に合わせて染色を作り、経糸と緯糸を染めていき絹の光沢を出すよう仕上げます。見本通りの色を出すのに、技術とセンスを必要とします。

染める方法には、機械染めと手染めがあります。染料も天然染料・化学染料があります。

D)糸の準備

織物を作るには経糸(縦糸)と緯糸(横糸)が必要となります。きれいに染められた経糸と緯糸を枠に巻いていきます。

E)製織

糸をセットしていきます。柄や色を変えるときは一本一本手で結び付けていきます。リズムよくトーン、トントントンという音を響かせながら折られていきます。

厳しい検品を受け合格した織物だけが博多織として証紙が発行されます。

献上柄について

博多織は、「献上柄」といわれる伝統的な模様があります。江戸時代に福岡の藩主、黒田長政が幕府に献上していた博多織の柄から由来しています。

献上柄は、次の4つの模様からなります。

  • 独鈷(どっこ)
  • 華皿(はなざら)
  • 中子持縞(なかこもちじま)
  • 両子持縞(りょうこもちじま)

仏具として使用する独鈷、華皿をモチーフとしています。独鈷は、人間だれしもがもつ煩悩を打ち砕くとされるものです。華皿は仏様の供養の時にまくお花を入れるお皿です。どちらも、魔除け、厄除けの願いが込められています。

中子持縞と両子持縞は、親を表す太い線と子供を表す細い線からなります。

中子持縞は、太い縞が細い縞を挟む縞模様で、親が子を守るという意味があります。別名、親子縞といいます。両子持縞は、細い縞が太い縞を挟む縞模様で、子が親を慕い守るという意味があります。別名、孝行縞といいます。

どちらも親子の愛情、家内繁盛、子孫繁栄の願いが込められています。

博多織五色献上

博多織には、福岡の黒田藩主が徳川幕府に献上したものを、「博多織五色献上」といい近年になって再現され、「紫、青、赤、紺、黄」の五色からなります。

「紫」は昔から高貴な色とされています。再現された染料はムラサキ草の根で染色されました。

「青」は季節の初めの色を表しています。アイで染色されています。
「赤」は天に昇る太陽を表しています。染料は日本アカネの根を使っています。
「紺」は信用を表現しています。青とはまた異なり深みがあります。染料はアイを使用しています。
「黄」は皇帝の威力を表現しています。ヤマモモの皮を使って染色しています。

現代にマッチした博多織

現代になって着物を着て帯を締めることが少なくなってきています。そのため、博多織は、現代の生活にあったものにも浸透してきています。

ネクタイや名刺ケース、お財布にバックなどです。男性にも女性にも使える博多織を多く見かけます。献上柄から、ドット、動物の柄など幅広い年齢層のかたにむけたデザインや品物が作られています。博多織をもっていることで、絹の美しさを楽しめ優雅な気持にさせてくれます。

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博多人形について

緒方恵子の博多人形の作品「桜舞う」です。着物を着た二人の女性の博多人形です。椅子に腰掛けた女性と茶碗を乗せたお盆を持って立っている女性が遠くを見ています。

博多人形の歴史

博多人形の歴史は古く、誕生は1600年にまでさかのぼります。関ケ原の戦いで功績を上げた黒田長政は、筑前、今の福岡を新しく治めることになり、この地に入ります。博多から少し離れた福崎(今の福岡市中央区城内)という地に、壮大な福岡城を建築するため、多くの職人が集められました。

集められた職人の中で、お城の瓦を作っていた職人の一人である正木宗七が、瓦を造っていた粘土で人形を作ったのが今の博多人形の始まりだと言われています。そのころには、既に素焼きの人形を愛でる習慣があったとも言われています。

その後、1800年代になって中ノ子吉兵衛が素焼きの人形を庶民向けに作るなど名工が増え、全国に流通しました。さらに、1890年の第3回内国勧業博覧会、1900年のパリ万国博覧会に出品展示され、博多人形は日本国内だけでなく海外でも大きな注目を浴びるようになりました。

博多人形は日本を代表する伝統工芸品になりました。日本の経済産業省大臣指定の伝統的工芸品で、博多人形の製作技術は福岡県の無形文化財に指定されています。日本国内だけでなく、海外にも販売され、置物や贈り物、縁起物、土産品として愛されています。

博多人形の特徴

博多人形の特徴は、見とれてしまうほどの実に多彩な表情、今にも動き出しそうな躍動感、繊細かつ豊かな色彩などがあげられます。素焼きの人形に色を施していますので、土のぬくもりが感じられて、あたたかく、優しい雰囲気が伝わってきます。

博多人形の種類

博多人形の種類は、「美人もの」、「歌舞伎もの」、「武者もの」、「縁起もの」、「能」、「道釈もの」、「干支もの」、「童」、「節句もの」などがあります。最近は、スポーツ選手、お相撲さん、アニメや漫画、犬、猫などの動物や空想上のキャラクターなどモダンで斬新な作品も注目を集めています。

博多人形ができるまで

博多人形は、粘土から人形の形を成形し、窯で焼き、最後に彩色(絵付け)をするまで、全ての工程を一人の作家(博多人形師)が行う場合が多いです。

博多人形は、一品作と呼ばれる一体だけを手で作り上げていく方法と、原型の人形を作り石膏でその型を取り同じ人形を何体も作成する方法の二つの方法があります。ここでは後者の方法をご紹介します。

(1) 粘土・土ねり

博多人形の原材料は、福岡の油山近郊で取れる良質の粘土を使います。粘土はそのままで使えるわけではなく、何度も工程を経て不純物を取り除き、粘土の質を高めるために一か月ほど寝かせます。粘土をしばらく置くことで、焼いた時に人形にひびが入るのを防ぐことができます。

寝かされた粘土は、しっかりと練られます。この過程で、粘土が柔らかくなるとともに粘土に含まれている空気が抜かれていきます。

(2) 原型

作家がどのような人形にするか構想をねります。その構想にあわせて人形をつくっていきます。全体の姿だけではなく、指先や顔など細かいところまで、へラなどを使い仕上げていきます。

(3) 型とり

次に型取りです。構想通りに作り上げた人形の原型を糸や針金で切り離していき、それぞれの型を石膏で作っていきます。

石膏は高温で熱すると、白色の粉末になります。その粉末に水を混ぜて置いておくと固まり、石膏型が作られます。石膏は、人形の部分である粘土の水分を吸い取る性質もあります。複雑な人形になると、部分的に石膏型を作っていかなければならないので、20個以上の型に分けなければいけない場合があります。

(4) 生地づくり

次は石膏の型に埋める粘土の生地を作ります。生地の作り方は2種類あります、一つは型に流していく方法で、もう一つは生地を型に押し込んでいく方法です。手で押し込んでいくのは、型の隅々まで生地を押し込み、厚みも均等になるよう手で感覚を感じながら広げていかなければならないので、経験を必要とします。

(5) 焼成

粘土でできた人形の生地が乾燥し、型から外したら、窯で焼いていきます。800度前後の窯で8時間近く焼いたら、窯の中で冷やし、冷めたら窯から出していきます。

(6) 彩色

焼きあがった人形は素焼きの状態なので、土の色のままです。ここから色付けをしていきます。まずは胡粉といって貝殻を粉にしたものを水で溶いて、地塗りをしていきます。その後、肌を色づけしていき、着物や帯、髪の毛の細かい部分まで筆で描いていきます。

博多人形は、着物などの衣装や毛髪まですべて手で描きます。これは他の地域の人形作りと異なるところでもあります。

(7) 面相

そして最後に、表情を描いて命を吹き込みます。子供のあどけなさ、女性の美しい紅、歌舞伎ものには力強さなど、それぞれにあった表情をえがいていきます。

(8) 完成

その後、20日から60日間乾かして、博多人形は完成となります。このように博多人形には、作家のたくさんの技で作られています。

博多人形と一言で言っても、作風や表情など作家によってそれぞれ異なります。好きな作家を見つけてごひいきにしたり、いろいろな作家の作品を手にするのもよいでしょう。また、現代の生活にあわせ、モダンな人形や、大きなものから手のひらに乗るほどの小さな人形まで作られています。さまざまな用途やシーンに応じて博多人形を選ぶのも楽しみの一つです。

博多人形に出会うときは、ぜひ作られた過程や作家の想いを考えながら作品をご覧になると、今までと違う側面も見えてくるかもしれません。

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博多曲物について

博多の伝統工芸品である博多曲物です。弁当箱、飯櫃、棗、菓子器、蓋置、縁高、一輪挿など、博多曲物の人気商品です。

西暦200年まで溯る博多曲物の歴史

博多曲物の歴史は長く、西暦200年にまでさかのぼります。日本の第15代の天皇である応神天皇がお生まれになったとき、胞衣を納める木箱が博多曲物の発祥だと言われています。

胞衣を納めた木箱である、筥(はこ)お埋めになった際、そのお標として松の木を植えたといわれています。その松を「筥松」(はこまつ)、そしてその地を「筥崎」(はこざき)とよぶようになったと言われています。

応神天皇は福岡県福岡市東区箱崎にある筥崎宮のご祭神です。筥崎宮は、大分県の宇佐神宮、京都府の石清水八幡宮と並び日本三大八幡宮と呼ばれています。この筥崎宮では1月には玉取祭(玉せせり)、9月には放生会が行われ、多くの人が集まります。

博多曲物は、はじめのうちは神社や公家邸など一部の人にしか使われていませんでした。その後、徐々に広まり、江戸時代には庶民の家庭でも使われるようになるなど、長い歴史を経て、飯櫃、すし桶、弁当箱、茶道具などの日常品として発展してきました。

博多曲物玉樹は、初代吉右衛門(1600年慶長5年没)から続く博多曲物ブランドです。現在は、第十八代柴田玉樹で、過去400年間で初の女性博多曲物師です。

博多曲物師 柴田玉樹について

博多曲物の作り方

博多曲物は曲線と木目が美しいのが特徴です。材料となる杉の木探しから始まり、裁断、曲げ加工、乾燥、縫い合わせ、磨き、絵付けと一つ一つの工程に多くの時間をかけて、博多曲物の作品が出来上がります。

(1) 曲げ物に適した杉の木を探します。節がなく、筋がまっすぐ通っている木だけを選びます。

(2) 適した杉の木材が見つかったら、最低1年以上乾燥させます。その後、木を薄く削り、同じ大きさに切りそろえます。そして、重なり合う部分は薄くするために削り落とします。

(3) 薄く切った木板を、あくを抜きながら30分ほど煮立った湯で煮沸します。煮沸することで木の繊維が柔らかくなります。

(4) 煮沸したての熱い木板を取り出し、すぐに円形の「巻木」に巻きつけて曲げます。曲げた板は円形を保つように木挟で止めて、日陰で4、5日ほど乾燥させます。

(5) 乾燥した外枠に底板をあわせます。桜の樹皮を薄く整え、重なった部分を縫い綴じ合わせます。仕上げに磨きをかけ、絵付けするものには絵を描いていきます。

博多曲物の弁当箱と三宝

博多曲物でよく知られるのは「お弁当箱」と「三宝」です。温かいご飯を博多曲物につめると、ほのかに木の香りがただよい、心を落ち着かせてくれます。曲物は、軽くて殺菌作用もあり、余分な湿度を吸収するので、お弁当箱にはかかせません。

「三宝」は神様に神饌(神様へのお食事)をお供えするための台です。4面あるうちの3方向にのみ眼像(くりかた)が開いています。このような神事において、博多曲物は重要な役割を演じています。

茶の湯で愛される博多曲物の茶道具

博多曲物はお茶の席でも愛されています。季節を表現した茶菓子を入れる「縁高」や、茶器を温めた後のお湯を入れる器「建水」、茶葉を入れる「棗」、蓋を置く「蓋置」など曲物で作られた茶の湯の道具が揃います。

子供のお祝い膳「ポッポーお膳」

博多曲物で忘れてはならないのは、「ポッポーお膳」です。他の地域にはない博多独自のものです。

「ポッポーお膳」の名前の由来は、筥崎にはハトが多く、幼い子供がハトのことを「ハトポッポ」という言葉を使うことからハトポッポの「ポッポ」を名前に入れたと言われています。

「ポッポーお膳」には、男の子用と女の子用の2種類準備されています。高さが少し高いものが女の子用です。これは、女の子がきちんと正座をし、男の子はあぐらをかいて座るためです。

「ポッポーお膳」は子供の成長の節目をお祝いする「七五三」で使われます。また、生後100日祝いの「お食い初め」でも使われます。七五三は江戸時代は武家に伝わる風習でしたが、明治時代に全国的に広まったと言われています。

博多では、3歳になると「お膳すわりの祝い」がおこなわれます。これは、親に食べさせてもらうことなく、一人で食事ができるようになる年齢に達したということをお祝いする日です。

「ポッポーお膳」には絵が描かれています。お祝い事には欠かせない「松竹梅」と「鶴と亀」です。

「鶴と亀」では、亀のしっぽが赤く描かれていて、これは「亀は万年」といわれるように長生きをして苔がついている様子を描いたものです。

鶴は、上下逆さに描かれています。通常の向きで描いてしまうと、そのまま飛んで行ってしまいます。そこで、縁起の良い鶴がひっくり返って舞い降りている様子を描くため逆さに描かれています。このように曲物の絵には、子供を想う優しい心が込められています。

様々な用途に使われる博多曲物

伝統的な博多曲物ですが、モダンなデザインや用途の曲物も誕生しています。

木の美しさが生かされた「CDケース」やパーティーなどで目を引く「ワイン&シャンパンクーラー」です。「ワイン&シャンパンクーラー」は結露もしにくく、パーティーでテーブルに置いてあると、主役になりそうな美しさです。

曲物の器でコーディネートされた空気清浄機も生まれました。和室など室内にマッチして、インテリアや間接照明としてもお使いいただけます。

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博多きり絵について

博多伝統工芸品の博多きり絵の作品です。博多の祭り、博多祇園山笠に参加する男の子の締め込みを、お母さんが後ろで跪いて締めています。

神事に使われていた日本のきり絵

きり絵は、黒い紙を切り抜いて、白い紙に貼り付けることによって白と黒の二色のみで世界を表現するものです。切り抜く輪郭線は、切れて離れてしまわないようにすべてがつながるように切ります。

古来、日本ではきり絵は神事や儀式に使われていたと言われています。きり絵は日本だけでなく世界中で作られています。

最近では白黒だけではなく、カラーの紙を使用して色とりどりの色彩を表現することもあります。また、平面ではなく、立体的なものや、輪郭線をつなげずに切るもの、紙以外のものなど新しいスタイルが生まれています。

博多きり絵師 小西一珠喜

博多きり絵は、きり絵師である小西一珠喜(こにし かずよし)が作り出した、博多の題材にこだわったオリジナルきり絵です。

博多には古くから伝わる博多人形や博多織という伝統的工芸品がありますが、新しい工芸作品として小西一珠喜の博多きり絵がこの博多の地に生まれました。

小西一珠喜は1958年に長崎県五島列島小値賀島で生まれました。

2001年、博多を代表する祭り「博多祇園山笠」を見て大きな衝撃を受けます。同じ年の12月、 小値賀島 の実家が火事で全焼してしまいます。小西一珠喜はこれを機に、山笠のきり絵づくりを博多で本格的に開始しました。

小西一珠喜は、 2018年に永眠しました。「世界一愛されるきり絵師になること」という想いは、博多きり絵の中に生き続けています。

小西一珠喜の詳細について

博多きり絵の主な作品シリーズ

(1) 博多祇園山笠

博多祇園山笠 シリーズは、 770余年の伝統を誇る奉納行事であり博多を代表する祭りである「博多祇園山笠」をテーマにしています。

博多祇園山笠では、神輿は「山」と呼び、担ぐことを「舁く(かく)」といいます。山笠では 博多の町を七つに分け、それぞれの区割りを 「流(ながれ)」 と言います。 山笠に参加する男達が山を舁く時に着る水法被(みずはっぴ)の背中にはそれぞれの「流」の柄が描かれ、博多きり絵では実に力強く表現されています。

山を舁く時以外の山笠の行事では「長法被(ながはっぴ)」を着用し、博多織などで作られた帯を締めます。博多きり絵では、長法被の柄や帯も細かく表現されています。

博多祇園山笠 シリーズ の作品は、山を舁いている男達の声が聞こえてきそうな熱気と勢いが感じられ、山笠を思い起こさせてくれます。

(2) 博多百景

博多の街並みをきり絵で表現しています。櫛田神社、福博出会い橋、川端商店街、承天寺、冷泉公園、博多座船乗り込みなど博多らしい風景が、きり絵により色鮮やかに描き出されています。

(3) 博多美人

着物を着た女性や何気ない仕草をした女性など、多数のきり絵作品があります。結婚式の和装の女性のきり絵作品は、多彩で細やかな模様が特徴的です。

博多きり絵には、博多に関するもの以外の作品も多数あります。格言が書かれたもの、龍神、カンボジアの世界遺産アンコールワットなどがあります。中国の伝説上の霊鳥である鳳凰のきり絵作品「蒼天に飛ぶ鳳凰」は、色使いやバランス、 鳳凰の美しく広がった尾の部分のきめ細かさなど、小西一珠喜による独特のきり絵の世界が表されています。

小西一珠喜の博多きり絵を博多伝統工芸品オンラインショップでご購入いただけます。

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博多の伝統工芸品(福岡県指定の特産民工芸品)

博多の伝統工芸品の博多人形です。博多人形師、緒方恵子の作品「華」で、歌舞伎十八番の一つ「助六由縁江戸桜」の一場面です。

商人の町として発展してきた博多は、長い歴史の中で様々な工芸品が育まれ、人々の手によって伝統工芸品として受け継がれてきました。

博多の伝統工芸品のなかで、現在、国指定の伝統的工芸品として博多織博多人形の2品目があります。また、福岡県指定の特産民工芸品としては、博多曲物、博多鋏、マルティグラス、博多独楽、博多おきあげ、博多張子があります。

博多織

博多の伝統工芸品の博多織です。博多織で織られた帯が反物の状態で置かれています。

博多織の起源は、1235年に博多の商人である満田彌三右衛門(みつだやざえもん)が中国の宋に行き、技術を学んで博多に技術を持ち帰ったことが始まりです。

博多織特有の柄に献上柄というものがあります。この柄は、仏事で使われる花皿と独鈷をモチーフにしたものと、親子柄、孝行柄とよばれる太さの異なる線で作られているものを呼びます。

博多織の詳細について

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博多人形

緒方恵子の制作による博多人形の作品「慶」です。黒く大きな牛の背で童子が笛を吹いています。

博多人形の誕生は、1600年に、今の福岡を治めることになった黒田長政が、城を築くために職人を集めます。そのときの瓦職人が作った素焼き人形が博多人形の始まりといわれています。

 博多人形には「美人もの」、「歌舞伎もの」など美しさや力強さを感じさせるものもありますが、「干支もの」「節句もの」などかわいらしいものも作られています。

博多人形の詳細について

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博多曲物

博多の伝統工芸品である博多曲物です。楕円の形をした弁当箱です。杉の木の模様と楕円の曲線が美しいです。

博多曲物の歴史は大変長く西暦200年までさかのぼります。日本の第15代天皇である応神天皇がお生まれになったときに、へその緒をいれた容器が、今の博多曲物でした。

曲物はネジなど全く使っておらず、ひとつひとつ手作りで、木のみ使用して作られています。

おひつやお弁当箱など作られていますが、ぜひ見ていただきたいのが「ポッポーお膳」です。こちらは子供のお祝いのときに使われるお膳です。お膳に書かれている松竹梅や鶴亀が特徴的で、子供の成長を願う気持ちが込められています。

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博多鋏

博多の伝統工芸品の博多鋏です。鋏の中心部には「卯」の刻印と「菱」をあらわすデザインが刻まれています。

今から700年ほど前に南宋の商人、謝国明が「唐鋏」を博多に持ち込んだのが始まりです。その後、幕府の献上品として、博多の刀鍛冶師である安河内卯助により唐鋏の製作に取り組みました。

1800年(明治13 年)に高柳亀吉が卯助翁の弟子となり、やがて師匠の刻印である登録「宇」の継承を許されました。その後、1887年(明治20年)に独立し、唐鋏を「博多鋏」と改称しました。一点一点丁寧に作られており、鋭い切れ味が特徴です。

マルティグラス

マルティグラスは、「Multiple Layer Glass(マルティプルレィヤーグラス)」の愛称です。性質の違ういろいろな色のガラスを何層にも重ねて、美しい芸術作品になります。

1937年(昭和12年)のパリ万博で、日本のガラスとして初のグランプリを受賞しています。

干支モノや置物などもありますが、花瓶やおちょこやカップなど実際に日常生活で使えるものもあります。

博多独楽

博多の伝統工芸品である博多独楽です。大小、4つの赤、緑、紺、金の色からなる博多独楽が並んでいます。

1300年に中国から竹製の唐ゴマが日本に伝えられました。その後17世紀後半、木製のコマに鉄の芯を打ち込んだ「博多独楽」が作られました。このうように鉄の芯を持った博多独楽は、手に取って移動させることが可能になり、独楽を使った曲芸がうまれました。

博多おきあげ

博多おきあげとは下絵を描き、布や綿を使い立体的に盛り上げて作ったものです。立体感のある絵画のようです。

博多では、女の子が生まれた時に、博多おきあげを送る習慣がありました。明治、大正時代にはこのおきあげを作ることは女性の教養の一つだったそうです。

顔は手書きでひとつずつ丁寧に描かれています。着物を着たものは、重なりの部分や帯など色の配色も素敵です。

博多張子

博多の伝統工芸品である博多張子です。猿、虎、だるまの博多張子です。

博多張子は、江戸時代から縁起物として作られてきました。作り方は今も江戸時代とほとんど変わっていません。木などで作った型に和紙を布苔で幾重にも張り重ね、乾燥させた後、手描きで絵付けをします。一つ一つ丁寧に手作業で作られます。

博多の大きなお祭り、博多どんたくで使うお面や、商売繁盛を願う十日恵比須の鯛の飾り、干支の置き物など縁起物として愛されています。

博多は、古来より貿易の中心地でもあったことから、ほかの国から伝わったものをベースにしたものも見受けられます。すべての工芸品は多くの人の努力により今現在まで伝わっていることを考えると、有り難さが一段と深くなります。

博多にいらした際は、博多の街に根付いた工芸品をぜひご覧になっていただきたいと思います。

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