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博多きりえについて

切り絵とは

切り絵とは、黒い紙を切り抜いて、白い紙に貼り付けることによって白と黒の二色のみで世界を表現するものです。

日本では、神様の儀式に使われていたとのことです。切り絵は日本だけでなく世界中で作られています。最近では白黒だけではなく、カラーの紙を使用して表現することもあります。また、従来の紙をカッターで作るものだけではなく、新しいスタイルも存在します。

博多きりえ師 小西一珠喜

今回ご紹介したいのは、きり絵師、小西一珠喜(こにし かずよし)さんです。小西さんの作品は「博多きりえ」と呼ばれています。こちらは、小西さんが考え出したオリジナルのものです。博多には古くから伝わる博多人形や博多織という伝統的工芸品がありますが、新しい芸術として小西さんの博多きりえがこの博多の地に生まれました。

小西さんは、1958年生まれ、長崎県五島列島小値賀島出身です。2002年に博多祇園山笠を見て、大きな衝撃を受けました。また、実家が火事で全焼し切り絵づくりを本格的に開始しました。櫛田神社近くに活動拠点を移し、山笠だけでなく博多の文化を切り絵で表現しました。

小西さんにとって、この2002年の出来事が大きく人生を変えることとなります。小西さんのご実家が全焼してしまいましたが、入ってみると一か所の壁だけが焼けていなかったそうです。そこに、20歳の時に小西さんが作った「ゆかた」の切り絵だけがなんと残っていました。その切り絵を大切に持ち上げようとしたその瞬間、「切り絵をしなさい」という声が聞こえたそうです。そこで小西さんは心を決め、いまの「博多きりえ」ができあがる出発点でした。小西さんにしか聞こえないその声が、小西さん人生の大きな転機となりました。

主な作品

小西さんは本当に博多が大好きでした。41歳の時に初めて見た博多の夏のお祭り「博多祇園山笠」に魅了され、博多に移り住みます。そして、魅了された山笠を中心に、博多の景色など数多くの作品を作っています。

博多祇園山笠

こちらのシリーズは博多を代表するお祭り、博多祇園山笠をテーマにしています。

山を舁くときの正装である水法被の背中に書かれた意匠も力強さを感じます。山を舁く時以外の長法被は山笠の行事に参加するときに着用します。その柄もきれいでそこに締める博多織の帯までそれぞれ個性豊かにきりえに表現されています。

山を舁いているその男衆のきりえは、いまにも声が聞こえてきそうな熱気と勢いが感じられます。この作品は本当に早朝にはしる博多祇園山笠を見位に行った、あの時のドキドキ感と心をうずうずさせるような興奮を思い起こさせてくれます。

博多百景

博多の街をそのまま切り取ったような作品です。歩いていて何気なくみかける景色なのですが、写真とは違う切り絵としてその場面を切り取られていると、とても温かく小西さんの目で見る博多は感じることができます。

博多美人

着物を着た女性や洋服の女性、こちらを向いている女性や何か思いにふけっているような女性などさまざまな女性がきりえとなっています。小西さんがモデルとなった女性と会話をして、その方の背景まで作品の中に切り込んでいるように感じられます。

博多以外の作品もあり、龍や、中国の神話に登場する伝説の鳥、鳳凰などもきりえにしています。鳳凰が飛び立っているその姿は高貴な感じがします。美しく広がった尾っぽの繊細さには驚かされます。

小西さんは、2018年に永眠されました。しかし小西さんの「世界一愛されるきり絵師になること」という想いは、生きています。多くの方に、小西さんが想いを込めて作った作品を見ていただけたらとおもいます。きっと小西さんも空からみなさんのことをあたたかく見守ってくれていることでしょう。

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博多の伝統工芸品

商人の町として発展したきた博多は、長い歴史の中で様々な工芸品が育まれ、人々の手によって伝統工芸品として受け継がれてきました。

現在、国指定の伝統的工芸品として博多織と博多人形の2品目があり、福岡県指定の特産民工芸品として、博多曲物、博多鋏、マルティグラス、博多独楽、博多おきあげ、博多張子があります。

博多織

博多織の起源は、1235年に博多の商人である満田彌三右衛門(みつだやざえもん)が中国の宋に行き、技術を学んで博多に技術を持ち帰ったことが始まりです。

博多織特有の柄に献上柄というものがあります。この柄は、仏事で使われる花皿と独鈷をモチーフにしたものと、親子柄、孝行柄とよばれる太さの異なる線で作られているものを呼びます。

博多人形

博多人形の誕生は、1600年に、今の福岡を治めることになった黒田長政が、城を築くために職人を集めます。そのときの瓦職人が作った素焼き人形が博多人形の始まりといわれています。

 博多人形には「美人もの」、「歌舞伎もの」など美しさや力強さを感じさせるものもありますが、「干支もの」「節句もの」などかわいらしいものも作られています。

博多曲物

博多曲物の歴史は大変長く西暦200年までさかのぼります。日本の第15代天皇である応神天皇がお生まれになったときに、へその緒をいれた容器が、今の博多曲物でした。曲物はネジなど全く使っておらず、ひとつひとつ手作りで、木のみ使用して作られています。おひつやお弁当箱など作られていますが、ぜひ見ていただきたいのが「ポッポーお膳」です。こちらは子供のお祝いのときに使われるお膳です。お膳に書かれている松竹梅や鶴亀が特徴的で、子供の成長を願う気持ちが込められています。

博多鋏

今から700年ほど前に南宋の商人、謝国明が「唐鋏」を博多に持ち込んだのが始まりです。その後、幕府の献上品として、博多の刀鍛冶師である安河内卯助により唐鋏の製作に取り組みました。明治13(1880)年に高柳亀吉が卯助翁の弟子となり、やがて師匠の刻印である登録「宇」の継承を許されました。その後、明治20(1887)年に独立し、唐鋏を「博多鋏」と改称しました。一点一点丁寧に作られており、鋭い切れ味が特徴です。

マルティグラス

マルティグラスは、「Multiple Layer Glass(マルティプルレィヤーグラス)」の愛称です。性質の違ういろいろな色のガラスを何層にも重ねて、美しい芸術作品になります。

昭和12(1937)年のパリ万博で、日本のガラスとして初のグランプリを受賞しています。

干支モノや置物などもありますが、花瓶やおちょこやカップなど実際に日常生活で使えるものもあります。

博多独楽

1300年に中国から竹製の唐ゴマが日本に伝えられました。その後17世紀後半、木製のコマに鉄の芯を打ち込んだ「博多独楽」が作られました。このうように鉄の芯を持った博多独楽は、手に取って移動させることが可能になり、独楽を使った曲芸がうまれました。

博多おきあげ

博多おきあげとは下絵を描き、布や綿を使い立体的に盛り上げて作ったものです。立体感のある絵画のようです。博多では、女の子が生まれた時に、博多おきあげを送る習慣がありました。明治、大正時代にはこのおきあげを作ることは女性の教養の一つだったそうです。顔は手書きでひとつずつ丁寧に描かれています。着物を着たものは、重なりの部分や帯など色の配色も素敵です。

博多張子

博多張子は、江戸時代から縁起物として作られてきました。作り方は今も江戸時代とほとんど変わっていません。木などで作った型に和紙を布苔で幾重にも張り重ね、乾燥させた後、手描きで絵付けをします。一つ一つ丁寧に手作業で作られます。博多の大きなお祭り、博多どんたくで使うお面や、商売繁盛を願う十日恵比須の鯛の飾り、干支の置き物など縁起物として愛されています。

博多は、古来より貿易の中心地でもあったことから、ほかの国から伝わったものをベースにしたものも見受けられます。すべての工芸品は多くの人の努力により今現在まで伝わっていることを考えると、有り難さが一段と深くなります。

博多にいらした際は、博多の街に根付いた工芸品をぜひご覧になっていただきたいと思います。