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博多曲物について

西暦200年まで溯る博多曲物の歴史

博多曲物の歴史は長く、西暦200年にまでさかのぼります。日本の第15代の天皇である応神天皇がお生まれになったとき、胞衣筥(へその緒を入れた箱)として埋め、そのお標として松の木を植えたといわれています。その松を「筥松」、そしてその地を「筥崎」とよぶようになったということです。へその緒がいれられた筥が、博多曲物だったのです。

応神天皇は福岡県福岡市東区箱崎にある筥崎宮のご祭神です。筥崎宮は、大分県の宇佐神宮、京都府の石清水八幡宮と並び日本三大八幡宮と呼ばれています。この筥崎宮では1月には玉取祭(玉せせり)、9月には放生会が行われ、多くの人が集まります。

1,800年以上前から始まっている博多曲物、はじめのうちは、神社や公家邸など一部の人にしか使われていませんでした。その後だんだんと広まり、江戸時代には庶民の家庭でも使われるようになっていきました。

博多曲物の作り方

博多曲物はどのように作られているのでしょうか。

  1. まずは、曲げ物に適した木から探していきます。節がなく、筋がまっすぐ通っている木だけを選びます。
  2. 適した板が見つかったら、最低1年以上乾燥させます。その後木を薄く削り、同じ大きさに切りそろえます。そして、重なり合う部分は薄くするために削り落とします。
  3. 薄く切った木は、あくを抜きながら30分ほど煮沸します。こうすることで木の繊維が柔らかくなります。
  4. 煮沸したての熱々の木を取り出し、円形の「巻木」に巻きつけ曲げていきます。曲げた板は円形を保つように木挟で止めて、日陰で4、5日ほど乾燥させます。
  5. 乾燥した外枠に底板をあわせます。桜の樹皮を薄く整え、重なった部分を縫い綴じ合わせます。絵付けするものには、絵を描いていきます。

このようにしてひとつひとつの工程に多くの時間をかけて、ひとつの作品が出来上がるのです。

曲物の弁当箱と三宝

博多曲物ですぐ思い浮かべるのはやはり、「お弁当箱」「三宝」です。温かいご飯を博多曲物につめると、ほのかに木の香りがただよってきて、心を落ち着かせてくれます。それだけでなく、軽くて殺菌作用もあり、余分な湿度を吸収してくれるので、まさにお弁当箱として利用したいですね。

「三宝」は神様に神饌(神様へのお食事)をお供えするための台です。4面あるうちの3方向にのみ眼像(くりかた)が開いています。このような神事で使われる作品を作ることができるというのは、曲物師さんとしては嬉しい限りだと思います。

茶の湯で欠かせない博多曲物

他にも伝統的なところで活躍しています。それは、お茶の席です。季節を表現したお茶菓子を入れる「縁高」や、茶器を温めた後のお湯を入れる器「建水」などです。私が作動をしていた時は陶器を使うことがほとんどでした。しかし、曲物の器だと、昔にタイムスリップして、お茶を楽しむことができました。

子供のお祝い膳 ポッポーお膳

そして博多曲物で忘れてはならないのは、「ポッポーお膳」です。おそらく曲物を作っている他の地域にはない、博多独自のものではないでしょうか。まずは名前の由来からお話します。筥崎にはハトが多く、幼い子供がハトのことを「ハトポッポ」という言葉を使うことからハトポッポの「ポッポ」を名前に入れたそうです。このポッポーお膳に男の子用と女の子用の2種類準備されています。高さが少し高いものが女の子用です。これは、女の子がきちんと正座をし、男の子はあぐらをかくからということだそうです。

ポッポーお膳はどのような時に使われるのでしょう。それは、子供の成長の節目をお祝いする「七五三」です。ほかにも生後100日祝いの「お食い初め」でも使われます。もともと七五三は江戸時代の武家に伝わる風習だったようです。それが明治時代に全国的に広まったそうです。

博多では、3歳になると「お膳すわりの祝い」がおこなわれます。これは、親に食べさせてもらうことなく、一人で食事ができるようになる年齢に達したということをお祝いする日です。そしてポッポーお膳には絵が描かれています。お祝い事には欠かせない「松竹梅」と「鶴と亀」です。ここで注目してもらいたいのが「鶴と亀」です。亀のしっぽが赤く描かれています。これは「亀は万年」といわれるように、長生きをして苔がついている様子を描いたものです。

では、鶴を見てみましょう。なんと、鶴が上下逆さに描かれているのです。通常の向きで描いてしまうと、そのまま飛んで行ってしまいます。そこで、縁起の良い鶴がひっくり返って舞い降りている様子を描くため逆さに描かれているのです。このように絵にも子供を想う優しい心が込められているのです。

様々な用途にも使われる博多曲物

伝統的な博多曲物ですが、新たな伝統を作ろうと立ち上がっています。木の美しさが生かされた「CDケース」やパーティーなどで目を引く「ワイン&シャンパンクーラー」です。「ワイン&シャンパンクーラー」は結露もしにくく、パーティーでテーブルに置いてあると、主役になりそうな美しさです。博多に訪れた際は、お好きな博多曲物をぜひご覧ください。

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博多の伝統工芸品

商人の町として発展したきた博多は、長い歴史の中で様々な工芸品が育まれ、人々の手によって伝統工芸品として受け継がれてきました。

現在、国指定の伝統的工芸品として博多織と博多人形の2品目があり、福岡県指定の特産民工芸品として、博多曲物、博多鋏、マルティグラス、博多独楽、博多おきあげ、博多張子があります。

博多織

博多織の起源は、1235年に博多の商人である満田彌三右衛門(みつだやざえもん)が中国の宋に行き、技術を学んで博多に技術を持ち帰ったことが始まりです。

博多織特有の柄に献上柄というものがあります。この柄は、仏事で使われる花皿と独鈷をモチーフにしたものと、親子柄、孝行柄とよばれる太さの異なる線で作られているものを呼びます。

博多人形

博多人形の誕生は、1600年に、今の福岡を治めることになった黒田長政が、城を築くために職人を集めます。そのときの瓦職人が作った素焼き人形が博多人形の始まりといわれています。

 博多人形には「美人もの」、「歌舞伎もの」など美しさや力強さを感じさせるものもありますが、「干支もの」「節句もの」などかわいらしいものも作られています。

博多曲物

博多曲物の歴史は大変長く西暦200年までさかのぼります。日本の第15代天皇である応神天皇がお生まれになったときに、へその緒をいれた容器が、今の博多曲物でした。曲物はネジなど全く使っておらず、ひとつひとつ手作りで、木のみ使用して作られています。おひつやお弁当箱など作られていますが、ぜひ見ていただきたいのが「ポッポーお膳」です。こちらは子供のお祝いのときに使われるお膳です。お膳に書かれている松竹梅や鶴亀が特徴的で、子供の成長を願う気持ちが込められています。

博多鋏

今から700年ほど前に南宋の商人、謝国明が「唐鋏」を博多に持ち込んだのが始まりです。その後、幕府の献上品として、博多の刀鍛冶師である安河内卯助により唐鋏の製作に取り組みました。明治13(1880)年に高柳亀吉が卯助翁の弟子となり、やがて師匠の刻印である登録「宇」の継承を許されました。その後、明治20(1887)年に独立し、唐鋏を「博多鋏」と改称しました。一点一点丁寧に作られており、鋭い切れ味が特徴です。

マルティグラス

マルティグラスは、「Multiple Layer Glass(マルティプルレィヤーグラス)」の愛称です。性質の違ういろいろな色のガラスを何層にも重ねて、美しい芸術作品になります。

昭和12(1937)年のパリ万博で、日本のガラスとして初のグランプリを受賞しています。

干支モノや置物などもありますが、花瓶やおちょこやカップなど実際に日常生活で使えるものもあります。

博多独楽

1300年に中国から竹製の唐ゴマが日本に伝えられました。その後17世紀後半、木製のコマに鉄の芯を打ち込んだ「博多独楽」が作られました。このうように鉄の芯を持った博多独楽は、手に取って移動させることが可能になり、独楽を使った曲芸がうまれました。

博多おきあげ

博多おきあげとは下絵を描き、布や綿を使い立体的に盛り上げて作ったものです。立体感のある絵画のようです。博多では、女の子が生まれた時に、博多おきあげを送る習慣がありました。明治、大正時代にはこのおきあげを作ることは女性の教養の一つだったそうです。顔は手書きでひとつずつ丁寧に描かれています。着物を着たものは、重なりの部分や帯など色の配色も素敵です。

博多張子

博多張子は、江戸時代から縁起物として作られてきました。作り方は今も江戸時代とほとんど変わっていません。木などで作った型に和紙を布苔で幾重にも張り重ね、乾燥させた後、手描きで絵付けをします。一つ一つ丁寧に手作業で作られます。博多の大きなお祭り、博多どんたくで使うお面や、商売繁盛を願う十日恵比須の鯛の飾り、干支の置き物など縁起物として愛されています。

博多は、古来より貿易の中心地でもあったことから、ほかの国から伝わったものをベースにしたものも見受けられます。すべての工芸品は多くの人の努力により今現在まで伝わっていることを考えると、有り難さが一段と深くなります。

博多にいらした際は、博多の街に根付いた工芸品をぜひご覧になっていただきたいと思います。