作家紹介

名前:
小西一珠喜(こにし かずよし)
種類:
ブランド名:
博多きり絵
経歴など:
1958年4月 長崎県五島列島小値賀島に生まれる
1974年8月 きり絵にて「竹馬」を制作する
1978年4月 福岡を永住の地とする
2001年12月 実家が火事になり全焼したにも関わらず、自身の制作した「ゆかた」のきり絵が奇跡的に残り、それが転機となり、きり絵の創作活動に本腰を入れる。
2002年 博多祇園山笠のきり絵が新聞に掲載
2003年 「博多祗園山笠 きり絵」画集の出版
2005年~2006年 NHK山笠番組で山笠きり絵が採用される
2007年 アクロス福岡にて個展
2008年 ニューヨーク国連国際学校・夏祭りで展示会及びワークショップを行う
2010年 博多駅新幹線コンコース内に展示
2011年 博多リバレイン入り口に巨大きり絵アート展示
2012年 フィラデルフィア日本語学校総会にきり絵講師で招待
2013年 日本郵政発売の「黒田官兵衛」の切手付き絵入りはがき5枚セットに、きり絵が採用される
2014年 日本郵政発売の「博多祇園山笠」の記念切手シートにきり絵が採用される
2015年 はかた伝統工芸館で、自身の7年ぶりの個展開催
2016年 はかた伝統工芸館で第2回目の個展開催
2017年 はかた伝統工芸館で題3回目の個展開催
2017年 「博多龍神と子供達」巨大きり絵制作を監修 ※作品は、「博多区役所」に寄贈
2018年 小西一珠喜 永眠
はかた国際工芸協会 会員(小西美香)
歴史あるきり絵
きり絵とは、黒い紙をカッターナイフやハサミを使って切り抜き、白と黒だけで独特の世界を作り出す芸術です。白黒だけでなく色彩ゆたかなカラーの作品もあります。
日本でのきり絵の歴史は深く、岐阜県の飛騨高山では奈良時代から伝わる様式が残り、宮崎県の高千穂では平安時代末期から行われたと言われる神事、夜神楽の時に「彫物(えりもの)」と呼ばれるきり絵が飾られます。また、京友禅など着物を染める型紙としても使われてきました。
焼け跡から残った1枚のきり絵
博多きりえ師、小西一珠喜は1958年生まれ、長崎県の小値賀出身です。1978年に福岡で生きていこうと決心しました。
2001年、長崎県の小値賀の実家が火事になりました。焼け跡から唯一残った物が、20歳の時に制作した「ゆかた」のきり絵でした。家はほぼ全焼でしたが、きり絵が飾ってある壁の部分だけが焼けずに残っていたのです。まさに、これをきかっけに「きり絵師になろう」と決意しました。
博多きり絵の誕生
そして、博多の者ではない私が、博多の伝統のあるお祭り「博多祇園山笠」に熱気に触れ感動しました。山笠にかける皆さんの熱意をきり絵で表現したいと思いました。きり絵を通して、きり絵の持つ力強い表現力を目いっぱい使って誕生したのが「博多きり絵」です。
博多祗園山笠に関して、着用する法被をきり絵で作成開始した当初のことです。いざ取り掛かると、全部で87種類もの法被が存在することが分かりました。思っていたよりも種類が多かったので「こりゃ大変だ!」と思いました。
福岡のことや博多祇園山笠のことなど何も分からなかった私に、博多の皆様が手取り足取り暖かく教えてくださり、そのような皆様のおかげで「博多きり絵」の作品を作り続けることができたことは何よりも嬉しかったです。
世界一愛されるきり絵師になること
私の作品のテーマは「博多」です。私は川端商店街が好きです。キャナルシティが好きです。櫛田神社が好きです。博多の下町の人々が好きです。
博多をもっともっと盛り上げるために、自分にできることは何か、あせらずやれることを、ひとつずつ残したいと思っています。まだまだ知らないことや、しきたりがたくさんあります。今後も勉強しながら「博多きり絵」を進化させたいと思っています。そして、最終の夢は、「世界一愛されるきり絵師になること」です。
博多きり絵の魅力をお客様にお伝えしたい
当初は、山笠の力強さを出すために「モノクロ」にこだわっていました。しかし、「カラー」のきり絵を制作してみると、きり絵の持つシャープで力強い表現が、彩色によって柔らかく表現できることも分かりました。
博多きり絵は、大胆さと繊細さ、そして光と影が織りなすきり絵が持つ独特の世界観で博多を表現します。お客様に博多きり絵をお届け出来る日を楽しみにしております。
小西一珠喜は、 2018年に永眠しました。「世界一愛されるきり絵師になること」という想いは、博多きり絵の中に生き続けています。